header_btn
恭三郎の部屋

ROOM OF KYOZABURO

柘製作所代表取締役・柘恭三郎のブログ。

ターキッシュ・シガレット「カズベック・オーバル」に至るまで

KAZBEK 1-350jpg.jpg
KAZBEK OVAL

1970年代初頭、日本パイプクラブ連盟元会長の故・岡部一彦氏とたばこ談義をしたことがある。登山家である氏は世界中を旅しており、各国のたばこ事情に詳しかった。その時、ターキッシュ・シガレットが話題になり、ドイツのゲルベゾルテ、エジプトのキリアジ、また、私がニューヨークに行った時に喫煙し、魅了されたラムゼスセカンドなどの話をした。ターキッシュ・シガレットが持つ、他にはない独特の個性、喫煙文化の中での存在感を、岡部氏と飽きることなく語り合った。


KYRIAZI leo 400.jpg

KYRIAZI

 

 

 当時、日本で売られていたターキッシュ・シガレットはゲルベゾルテだけであった。たばこの事業に興味を持っていた私は、ターキッシュ・シガレットの魅力をより日本に紹介したいと思っていた。そこでアメリカに飛び、ニューヨークのストーンストリート38番地にあった、ラムゼスセカンドを製造するギリシャ系のジョージオポロ兄弟会社を訪れた。

 

 商談の前に工場を見学したが、従業員が45名しかおらず、1900年代初頭に造られたシガレット製造機械で作っていたのには驚かされた。私はその頃、専売公社のシガレット工場しか見たことがなかったので、そのローテクさには目を見張ってしまった。大きな舵輪状の円盤があり、その円周上の先端でシガレットを作っていた。さや紙にたばこを詰める工程だ。この円盤のまわる速度と言ったら悠長なものだった。出来上がったシガレットを女性がインターナショナルサイズの箱に手詰めで入れていたのでまた驚いてしまった。一本一本のブランドを印刷した面を、上向きに入れるために手作業で箱詰めしていたのだ。しかし何よりも、彼らのターキッシュ・シガレットに向ける思い入れは心に響いた。「今の世の中、アメリカンブレンドが全盛でターキッシュを好むスモーカーは減る一方だ。しかし、ターキッシュが好きなスモーカーがいる限り我々は作り続けるだろう」と言っていた。

 

 ラムゼスセカンドの日本への輸入を求める商談を始めたが、「ラムゼスセカンドを作るには手間がかかり、日本に輸出できる余裕はない、輸出するとしても価格も相当高くなるので諦めてくれ」と何度も言われた。商談は夜におよび、ジョージオポロ兄弟がメンバーであったセントラルパークに面したニューヨークアスレチッククラブのレストランに招待され、そこでも商談を続けた。これほど旨いターキッシュ・シガレットがあるのに日本のたばこスモーカーは知らない、だから売りたいと何回も説明した。その後も数回訪米し、ようやく日本に輸入する契約を取り付けた。

 ラムゼスセカンドのパッケージデザインは、贅沢なエンボス加工で金箔まで使ったオランダ製。デザインはもちろん古代エジプトのラムゼス?世をモチーフにしたもの。昭和63年(1988)に、まず楕円形(オーバル巻き)で両切りタイプを120本入り小売価格850円で発売した。このたばこがターキッシュ・シガレットのイメージとして我々にはあり、のちのカズベック開発につながってゆく。

 

RAMESES? oval 400.jpg

RAMESES?(両切り・オーバル巻き)

 

翌年、通常の円筒状のフィルターシガレットを発売した。このフィルターを巻き上げているチップは本物のコルクシートだった。現在、世界中でコルクシートを使ったフィルターシガレットは存在せず、その喫煙の心地よさはもう味わえない。ちなみに、市販シガレットのフィルター部にまだらな薄茶色の紙が巻かれているのは、コルクシートの名残りなのだ。


RAMESES? filter 400.jpg

RAMESES?(フィルター付き・円筒状)

 発売当時、戦前のアメリカのターキッシュ・シガレットの味を知っていた方がお電話を下さり、よくやったとお褒めの言葉をいただいた。その方によると、20世紀前半のアメリカの南極探検隊が、ジョージオポロの作ったシガレットを持って行ったそうだ。

 

 こうして実現したターキッシュ・シガレットの輸入販売だったが、その後1990年代に入ると、ヨーロッパでは度重なる規制により、ゲルベゾルテ、エジプトから生産の地をドイツに移していたキリアジも相次いで製造中止となった。そして、ラムゼスセカンドもついに製造を中止。日本のマーケットからターキッシュ・シガレットが姿を消してしまった。

 

その頃、天才パイプ作家ヨーン・ミッケと会った時、彼はエジプト製のターキッシュ・シガレット「Simon Arzt」を喫煙していた。すぐにそのメーカーにオファーをかけたが、数年後に生産中止するといわれて諦めた。余談になるが、ミッケはヴァージニアのシガレットは英国製の「パークドライブ」を喫煙していた。このパークドライブも既にない。

 

SIMON ARZT 350.jpg
SIMON ARZT
 

 しかし、チャンスが訪れた。弊社のパイプをロシアに輸入している会社が、ターキッシュ・シガレットを作っているメーカーとの縁を取り持ってくれたのだ。

2010年の冬、弊社の三井常務が極寒のロシアに出張した。工場のある場所は、モスクワから夜行で8時間のところにあり、鉄道の駅とたばこ工場以外に大きな建物はない。周りは一面雪景色というより氷の世界だった。1915年創業のたばこ工場は広大な敷地を持ち、シガレット、葉巻、パイプたばこ等を作る総合たばこメーカーだ。さっそく商談に入り、「オーバル巻きで両切りのターキッシュ・シガレット」というこちら側の条件を提示し、商品開発の打ち合わせが始まった。工場内にある最上のターキッシュをベースに、相性のいいヴァージニアをブレンドして作ることになった。テイスティングを繰り返し、たばこ葉の配合比を調整し、ようやく日本国内での発売に向け自信の持てる製品に仕上げた。喫味はマイルドだがターキッシュの芳醇な香りを存分に愉しめるものになった。往年のターキッシュ・シガレットを柘製作所流に再現することに成功した。

たばこ工場が製造していたシガレットの中に、秀逸なデザインの製品があった。それがカズベックだった。ボコボイ山脈の名峰カズベック山をバックに、民族衣装をまとった馬上の男性のシルエットが描かれている。シガレットのデザインにしては動きのあるモチーフを選んだものだ。ボコボイ山脈は、ロシアの北オセティア共和国とクルジア共和国の国境にある。標高5000メートルを超えるカズベック山はロシア側に位置している。山頂は二峰に分かれている。パッケージデザインにはその二峰が描かれている。カズベック山の西250キロに黒海がある。黒海沿岸地域は上質なターキッシュたばこ葉の産地で有名だ。

開発した新しいターキッシュ・シガレットは、そのデザインと銘柄を踏襲し、オリジナルパッケージを多少アレンジした。鮮やかな青色の採用は弊社独自のものだ。ヘルスワーニング表示がフロントフェイスの30%を占めなければならない日本の制約をクリアし、25本入りロシア本国仕様を日本向けの20本入りにした。

 

私にとって思い入れ深いターキッシュ・シガレットに出会ってから、40年が経過していた。再び日本のスモーカーに紹介できることはこの上ない喜びだ。

柘製作所HP「新着情報」での「カズベック・オーバル」紹介はこちら↓
http://tsugeshinchak.jugem.jp/?eid=45