講演 「バレパイプ(本人の造語)についての考察」 本日講演
19世紀のパイプの世界はメシャムパイプが隆盛を極めていた。アールヌーボーの時代だ。
その彫刻的モチーフの芸術性は20世紀初頭まで続くが、アールデコの時代には衰退していった。
その時代に見事なバレパイプが作られていた。現在でも、アンネ・ユリア女史(デンマークの作家)がよくモチーフとして作っている「レッグ・パイプ」がそれに近い。足の付け根から太もも、膝、ふくらはぎ、すい口は足の先までデザインされたパイプだ。
この様なモチーフは19世紀にはすでにあり、足の付け根の先の先まで表現した作品もあった。
1970年代、ブライヤーパイプでも、天才ヨーン・ミッケが数種類の唸るようなバレを抽象的に表現したパイプを作ったが、スバラシの一語だ。日本でも何人か所有者がいるが、うらやましい。
さて、柘製作所のミュージアムコレクションにあるメシャムパイプ。裸婦が鳥の巣を持っているところのモチーフだが、顔はミロのビーナスに似ている。美人だ。絵画の世界では印象派のルノアールの裸婦に近いものがある。ふくよかで実に健康的な女性が表現されている。
このパイプがなぜバレ!かというと、鑑賞する側のある一点の視点以外はアートとしての表現しても問題ない。しかし、このパイプを喫煙するスモーカーにしかそのエロチズムが判らない。実に洒落っ気のあるパイプだ。
このパイプでたばこを喫煙するスモーカーは決して口から離してはいけない。。口から離し、他人に仕掛けを見せた瞬間に品性を疑われることになる。
このような感覚は日本の専売特許だと思っていた。着物の世界でもあるが、羽織の裏に「あぶな絵」が描いてあるものがある。
これも、本人は意識して着ているが、決して他人に見せるものではない。見せたら野暮だ。羽裏に秘密を隠し、緊張しているところがいい。
浅草に着物を着て様子を売りに行くなどいい。、俺はなんて奴だ!と心の中でニコッとする。帰宅して家族にいないところで羽織を脱いでチラっと見て、またニコッ!がいい。すぐに畳んでしまい込む。
結局、お金を掛けて作っても、誰にも見せられないという宿命。それがバレた時に大げさにいえば社会的に認識されたことになる、ということだ。その時点で野暮になる。このようなものは自分の世界だけにしておくのが粋というものだろう。
このような世界は、着物の世界に限らず、根付け、扇子などの小物の世界に数限りなくある。日本の場合は子孫繁栄のチャームとして所持していた。
だから「あれ、バレちゃったかな!」という感じで今日の講演をするのかな? あれ!粋じゃないな。
ちなみに、今日のあっしの着物のテーマは大相撲開催中なので、「相撲」です。帯と根付け、扇子は・・・・!これはテーマが違う。
追記:バレとは工芸の世界の言葉ではない。短詩型文学の世界の言葉であって、ものの世界では「わらい」という。