-
煙管たばこ「宝船」。あっしのこだわりを聞いてくださ...
3月1日に煙管用の多波粉(たばこ)「宝船」が船出した。
-
ラットレーのミニ情報です。スコットランドのパース市...
パース市ミュージアム&アートギャラリーのスーザン・ペインさんからのメールが届いた。
-
ZigZag の巻紙の仕事でフランスにいます。ラピ...
フランスの北カタロニア地方にあるペルピニヨンにそのジグザグの巻紙を作っている工場がある。寒いが天気はいいし、食事は旨いしで天国だ。煙草の巻紙は近代史のなかでも大量生産品、大量消費製品として特異な立場にあった。社会状況に密接に反応する商売であることは間違いない。ジグザグの巻紙は19世紀のクリミア戦争に端を発した感がある。
-
クジラの髭...
河北新報の記事で、伝統的な人形作師がクジラの髭を2本入手できた、とあった。
-
横澤彪さんの葬儀でした。...
1月14日午前11時から池上本門寺で行われました。
-
横澤彪さんとの思い出。平成23年1月8日逝去...
フジテレビの名物プロデューサーであった横澤さんとは、1970年代初頭お世話になったことがある。シルバーアクセサリーのデザイナーがデザインをしたループタイの製作依頼を受けたのが始まりであった。
-
母玉江の思い出。その4...
父と母は結婚して浅草の阿部川町に所帯を持った。現在の元浅草3丁目あたりを言うが元浅草の「元」とは何か?いまだに納得がいかない。所帯を持った家は、現在木版絵の摺り師長尾さん宅の裏あたりだ。長尾さんは千社札でお世話になっているのでお付き合いがある。父と母は、数年で寿町に戻ってきた。
-
母玉江の思い出。その3...
根っからの浅草っ子であった母は、お醤油は「おしたじ」、味噌汁は「おみおつけ」、斜めを「はすっかい」、それと「塩梅(あんばい)」は料理と限らず道具使いや天候にも使っていた。
-
母玉江の思い出。その2...
母玉江の父親は、浅草寿町で洋服の仕立て職人をしていた。当時としてはモダンな仕事だったようだ。
私が子供のころ、祖母はアメリカのお酒は「ウエスキー」と、飲み水は「ワラ」だと教えてくれたことがある。なぜ英語を知っているのかと聞いたら、祖父が注文を受け、仕立てた背広をアメリカ兵に売るときに覚えたそうだ。 -
母玉江が昨年暮れの28日に旅立ちました。亨年九十五...
母の思い出。その1
母とパイプとの関係で思い出すことがある。母は五男二女の子持ちで、戦中と戦後すぐに二人の男の子供を亡くしてる。長男と私のすぐ上の四男。私は三男だが、正確には五男だ。